とある天才のペーパークラフト

この日記のテーマとはほとんどかすらないのだが、言及せざるをえないので書いておく。
1969年生まれ、紙工作歴30年を豪語する人物がいた。

彼(男性だと思う)は設計図を描かない。頭の中でイメージした物体に沿って紙を接着剤で積層していく。接着剤としてコニシのG17を薦めているので、パルプとクロロプレンゴムを主成分とした作品と言ったほうがより正しいかも知れない。そして薄い紙を何枚も貼りあわせることで、プラスチックのパーツと見紛うボリュームの部品を作り上げる。おそらく簡単には曲がらないであろう強度と驚異的な軽さを両立させているだろうことが想像できる。
等身大綾波レイはそのように作られた。
構造的にも複雑で、二段関節は当たり前、彼がとくにこだわりを見せる肩はある程度以上引き上げると、より首に近い部位のパーツも一緒に持ち上がる。私も自分の鎖骨を触りながら腕を振り上げてみると、なるほど確かに連動している。面白い。
人形だけでなく巨大なマクロスの完全変形ペーパークラフトもあり、艦載機である1円玉より小さいバルキリーは手先で作ったことが信じがたい精緻な出来。強度と軽さというのは確かに変形メカに必須の要素であり、変形メカ大好きっ子だった自分は静止画だけでもわくわくする。
彼が少なくとも類希な空間把握能力と、器用さと、新たな機械構造を考え出し設計する創造性と、人並み外れた根気を持ち合わせていることは疑いようがない。
だが彼の作品の価値は公に認められたことがないらしい。雑誌に何度投稿しても掲載されず、メーカーのショウに出品しようとしても断られる。そうやって怨嗟を募らせる様子は何とも胸が痛む。他者からのフィードバックをほとんど受けられないまま、彼の価値観は先鋭化されていく。
ただ、雑誌もメーカーも仕事でやってる事なので、商業価値を見抜けなければ相手にしないのは仕方が無い。
まあ彼の作品に触れてしまうと、彼が既存のドールやペーパークラフトに対して冷笑的な態度を取る理由は理解できる。ペーパームーン等身大ドールを見ても、この膝じゃ正座もできないだろうと冷めた感想しか出てこない。例えば彼の作品は紙で出来ていることを感じさせない滑らかで複雑な曲面を持っている。しかし世の中のペーパークラフトは素朴なフォルムで妥協し、「紙で出来ています」感を意図的に演出する。そうすることで、ペーパークラフトとはこういうものだという世間的な了解を作者と鑑賞者が共有する。そういう、誰でも組み立てられることに価値を置くペーパークラフトは多い。彼の作品はそうではない。ある程度積層させて意図した形状から逸脱したら、強引に変形させ、壊れた部分にまた積層することで理想の形状へ近付けていく。このような作り方をする彼の作品は量産不可能で、キットとして商業ベースに乗せる余地がない。
彼のこれまでの作品はおそらく芸術として価値を認められる以外に評価される方法はないだろう。レジンキャストのように複製することができないので、量産品としての商品価値は生まれようがない。あるいは構造的な工夫に工業的な価値を認めることは可能かも知れないが、それを世の中に知らしめる方法はちょっと思い付かない。
ただ先月からの動きとして1/2サイズのドールを作り始めており、等身大とは比較にならないほど容易に作業が進むらしい。この事が何か新たな方向性、例えば量産性の確立などにつながるようであればまた新たな道が開けるかも知れない。そう願わずにはいられない。